鉄道模型を捨ててから、夫の様子がおかしい

鉄道模型を捨ててから、夫の様子がおかしい(http://www.nyasoku.com/archives/50395674.html)
を読んで、頭がくらくらしてきた。


私が実家に住んでいた頃、少女漫画雑誌『りぼん』を愛読していた。もともと姉が読んでいて、姉が大きくなって読まなくなってからも上妹が読んで、下妹が読んでというかたちで、そのりぼんを私も読んでいた。やがて下妹も読まなくなったが、私だけが毎月買うようになった。
私はただ読むだけでは飽き足らず、主人公の登場回数を全作品、全話について数え上げるようになった。登場回数とは、ようするにその主人公が描かれているシーンがいくつあるかという事。りぼんは一作品の一話がだいたい30ページから40ページ、長いもので50ページだったので、一話でちょうど100回いくかいかないかくらいだった。だから、一話の登場回数100回を標準記録として、100回以上のものを記録していった。
150回以上のものは表彰、200回以上なら殿堂入り、などと勝手にやっていた。ページ数が多い作品は有利になるから1ページ当たりの登場率を出したり、男女ペアの合計登場回数を出したり、100回以上登場を何話連続で達成したか出したり。それらの記録を毎月ノートにつけて、今月はこんな記録が更新されたとか、長期連載ものには登場回数に共通の傾向があるとか分析して楽しんでいた。
私が高校3年生の時にりぼんの購読をやめたのだが、それまでに買っていた1987年から1998年までの12年分、全140冊のりぼんはすべてとっておいてあって、読み返したり、記録ノートをながめては悦に入ったりしていた。妹もたまに読みたくなる事があったらしく、「これこれの漫画のこういうシーンが載っている回のやつ貸して」などと言われて貸したりしていた。
大学に合格して一人暮らしをする事になり、私の部屋がなくなった。りぼんはどうしようかと思ったが、それまでも何度か父親に「そろそろ捨てたらどうだ」と言われていたし、一人暮らしのアパートに持ってこようとは思わなかったので捨てる事にした。本体がないのだから記録ノートもいらないだろうと思って同時に捨てた。
一人暮らしを始めてしばらくして、私に大変な後悔が襲った。気になって仕方ない。捨てるべきではなかったと悟った時には遅かった。りぼん本体もそうだが、記録ノートを捨てた事の後悔のほうが強かった。記録ノートを眺めるだけで12年間のりぼんの流れを把握する事ができていた事にようやく気づいた。新記録や特徴ある記録が出た時の興奮、喜びを記録ノートを眺めるたびに思い出していた事にようやく気づいた。
登場回数200回を初めて越えたのが『きみのことすきなんだ』(谷川史子)の丸屋慎一だったなあ、とか、小花美穂作品はデビュー以来12連続で主人公が100回越えしたなあ、とか、『おしゃべりな時間割』(水沢めぐみ)の高橋千花は全7話オール100回越えの偉業を達成したなあ、なんて今でも覚えている。
それらの記録には、一般的には何の価値もないだろう。そもそも、登場人物が何度登場したかを数える事に何の意味がある?だが、私にとってはそれが極めて面白いものだったのだ。そんなに面白いものを当時の私は自分自身で簡単に捨ててしまった。
その後私はりぼんマスコットコミックスを手当たり次第買っていった。コミックスには本誌に掲載されなかった作品(りぼんオリジナルなどに掲載された作品)も載るし、本誌で読んだ作品も読み返して楽しんだ。しかし、もはや登場人物の登場回数を数えようとはしなかった。わざわざ数えて記録して、というのが今の私にはなかなか重労働で、逆に今思うとずいぶん面倒くさい事を昔の私はしていたんだと自覚した。そんな大変なことをしたからこそ、記録ノートを眺めるだけで楽しかったのだと分かった。数え上げ、ノートにつけ、毎月更新記録を書き換えるその事自体を楽しんでいた事が確かに当時の私の生活の一部分であったのだ。私はどれだけ大切なものを捨ててしまったのかを身にしみて後悔した。


そんな事を、冒頭に挙げた記事「鉄道模型を捨ててから、夫の様子がおかしい(http://www.nyasoku.com/archives/50395674.html)」を読んで思い出した。
私が自分自身でそれだけの楽しみだと自覚していなかった、自分自身のごく一部ものを自分自身で捨てた事でさえこれだけ後悔したのだから、自分が大切にしていた、自分の大部分を占めるものを他人(妻)に勝手に捨てられたこの夫がどれだけのショックを受けたかは思いやって余りある。私が味わったそれの何倍もの悲しみに加え、妻に対する恐怖があるだろうし、また妻を想うがゆえにいかに妻のために自分を殺すかを考えているのかもしれない。夫ができる最大限の事が、今この妻にしている事なのだろう。


今、私は引っ越すために荷物をまとめている。この何年かで私の部屋にはさまざまなものが溜まっていった。漫画の単行本がおよそ600冊、その他の本が1000冊。録画したビデオが200本、買ったビデオは50本。録音したカセットテープが、音楽のみをまとめたものが170本、それ以外が250本。MDが300本。音楽CDが50枚、データCDが50枚。何を捨てて、何を実家に戻して、何を次の生活に持っていくのか考える考える。結果、
_「また欲しくなった時に安価で買い直せるものは手放す(売る)」
_「カセットテープは、音楽のみを集めたものだけ残してあとは全て捨てる」
_「少女漫画は実家に送る(母の希望によったため)」
_「ビデオテープは、のちにレンタルでも見られるものは捨てる」
ということに。
必要な本や高価な本は持っていく事にした。音楽をまとめたテープは中学時代からまとめていたもので、今では聞けないものも多数あるからとっておく事にした。ビデオは本数の割に場所をとるのでどうしようか迷ったが、特に昔のバラエティ番組やニュース番組、スポーツ番組はいったん捨てたら二度と見られないので後悔したくないから持っていく事にした。もう、なるべく後悔したくないけど、それでも今回捨てた物について後悔する時がくるかもしれない、という心構えはすでにしている。
もし、私がさんざん考えて残す事にした物を私の妻なり恋人なり家族なり他人が勝手に捨てたとしたら、私はどうなってしまうのだろうか。きっとこの記事の夫のようになってしまうに違いない。ああ、想像するだけで悲しい。